筆者は20年近く製造業、特に直近では半導体業界のビジネスに従事しており、2022年にMBAを取得しました。MBAでは様々な業界の方と共に学びましたが、業界的にMBAが重要であろう、最先端の製造業を代表する半導体業界出身の方が少なく、意外に感じました。その後色々と業界の方に話を聞くと、どうやら半導体業界ではMOTのほうが盛んで、会社によってはMOT取得には費用を出すがMBAには出さない、等というところもあるようです。製造業では本当にMOTのほうがMBAよりも向いているのでしょうか。
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MBAとMOTの比較
まず、簡単にMBAとMOTの比較をします。MBAプログラムのカリキュラムはハーバード大学、一橋大学、アングリアラスキン大学、カリスマ大学のものを、MOTは文部科学省(2010)を参考にしました。
MBA:
Master of Business Administrationの略で、経営管理学修士と訳される。経営管理学を修めたものに授与される学位。
一般的なカリキュラムは、財務会計・人的資源管理・経営戦略・マーケティング・オペレーション管理等が概ね必須で、加えてデータサイエンス・経済学・ビジネス法・ビジネス倫理・アントレプレナーシップ・組織マネジメント等も入ることがある。
MOT:
Management of Technologyの略で、技術経営または技術マネジメントと訳される。経営学の一分野。
一般的なカリキュラムはMBAの必須科目に加え、イノベーションマネジメント、技術・R&D戦略、知的財産、オペレーション管理等。
略語を見ると一目瞭然ですが、そもそも本来MOTは学位ではなく、経営学の一分野に過ぎません。学位になった背景については後述しますが、カリキュラムを見たところ、やはり製造業に特化した内容であるのは確かなようです。
MOT選択の誤謬
技術経営とは「技術を効果的に活用して経営を行うこと」と定義されており、日進月歩の科学技術を創造的に活用するマネジメント力の習得を目指すものと位置付けられています(文部科学省、2010)。前項で見た通り、カリキュラムは確かに「技術経営」の名にふさわしい内容になっているようです。更に、多くの大学でMOTは経営学部ではなく工学部など理系学部の中に位置づけられています。
では製造業に従事する人々はMBAよりもMOTを取るほうが良いのでしょうか?
結論は「否」です。
技術が重要な業界だからMOT?
製造業、特に先端技術を扱う業界では、技術が注目されがちです。技術が事業の重要な部分を占めており、従って技術経営=MOTのほうが有効だと思われるかもしれません。
しかし実はそうではないのです。先端技術であれ成熟した業界であれ、ビジネスの基本はみな同じなのです。例えば知財戦略が重要な業界・そうでない業界はありますが、それは専門家が必要かどうかという話でしかありません(知財戦略が必要ないという意味ではなく、MBAのカリキュラム内で対応できるためMOTにする必要はないという意味です)。現在、知財をはじめほぼすべての間接部門は外注できますし、設計や製造、営業すらアウトソーシング可能です。事業を成功させるのに、技術は必要条件でも十分条件でもないのです。せいぜいGood to haveでしかありません。
一例を挙げると、iPhoneがそうです。iPhoneを作るための「技術」は、タッチパネルや携帯端末からのインターネット利用など、日本企業が既に持っていたものばかりです。半導体製造は当初はTSMCに外注しています。それなのに、日本企業はiPhoneを作れませんでしたし、後追いにも失敗し、スマホ世界シェアは現状Top5にすら入っていません。
核にすべきは「技術」ではなく「ビジネス」
「技術では負けていなかったが、ビジネスで負けた」というのは、1980年代に世界を席巻したのち凋落した半導体でも言われることがあります。内容については話すと長くなりますが、事業構造や製造プロセスを機動的にアップデートできなかったことがしばしば原因として語られます。例えばデバイスメーカーでは、それまで一般的だった設計・製造を両方とも手掛けるIDM(Integrated Device Manufacturer)から、設計のみのファブレス・製造のみのファウンドリへ時代に合わせて事業変革ができなかった、EUV装置では、海外メーカーがコア部品も外注してOEMに徹したのに対し日本メーカーは全部自社製にこだわった、等です。要は、今までの延長線上にある技術を突き詰めることしか考えておらず、ゼロベースでビジネスに勝つという考えがなかったわけです。
「技術で負けていないがビジネスで負けた」は負け惜しみ以外の何物でもありません。技術コンテストではないのですから、ビジネスで負けたら負けなのです。従って、「技術ありき」で経営を考えるMOTは、存在自体が誤謬なのです。
もちろん、技術が強みになる企業もありますから、技術を核にする戦略が常に誤っているとまでは言いません。しかしそれはゼロベース思考で適切に経営判断をした結果でなくてはならず、アプリオリに「技術経営」を出発点にするのは間違っています。
ゼロベースでないMOTは視野を狭くする
MBA・MOTそれぞれのカリキュラムをもう一度見てみましょう。MBAのカリキュラムは、突き詰めていっても残るものを科目としてカウントしています。いかに世の中の産業構造や技術が変化しようと、人がマーケットに財・サービスを売り、金勘定をする、というオペレーションをするのがビジネスです。だからHR・マーケティング・財務会計・オペレーション管理があり、それらの方向付けとしての戦略があるわけです。しかしMOTのカリキュラムは、イノベーションなどそもそもマネジメントできるものなのか?という根本的な疑問はさておき、知財は外注し得ますし、R&DよりもM&Aを重視する会社もあります。
これらは「技術経営」というなら間違っていません。しかし「ゼロベース」を強調するMBAと比べると、「ビジネス」という観点からは視野が狭く、柔軟性に欠けます。つまりは「技術経営」自体がビジネスの「ものの考え方」として単純に正しくないのです。
著者はMOTを取得しておりませんので、もしかするとMOTでもゼロベース思考は教えられているのかもしれません。しかしMOTを取ることがそもそも「自分は技術経営を志向している」という宣言効果をもたらし、ゼロベース思考を阻害してしまうのです。
世界はMOTなんか知らない
Wikipediaの各国語版を見ると、MBAは日本語以外に45か国語あるのに対し、MOTは9か国語しかありません。また日本語版・英語版を見た限り、MOTは学位として扱われていません。元々経営学の一分野に過ぎず、存在に誤謬を含み、国際的にも認知されていないMOTが何故日本では一定の地位を占めているのでしょうか。
ここからは完全に筆者の憶測に過ぎませんのでご留意ください。MOT大学院が設立され始めたのは2003年度、日本の経済成長が停滞し、「失われた10年」(現在は「失われた30年」になっています)と言われていた頃です。「いいものを作れば売れる」という技術主導の思想は誤っており、正しいビジネスマインドに基づいて経営管理を行う必要があるという認識は共有され始めていたのでしょう。しかし悪名高い日本の大学の文理派閥争いの中、「文系に先端技術系の経営のイニシアチブを取られたくない」「数学のできない文系に技術の経営が分かるわけがない」という発想のもと、経営学部から独立した「技術経営」学位が工学部など理系学部の中に作られ、維持されているのではないでしょうか。
しかし工学と経営学は全くの別物です。一歩譲って「技術経営」自体を認めたとしても、それは「経営学」の中で検討されるべきもので、だからこそ日本以外ではMOT学位など知られていないわけです。このようなガラパゴス学位を放置していては、いくら半導体産業に多額の補助金を出したところで外資に持っていかれるばかりが関の山で、日本の製造業の復権は遠いでしょう。
MOTを取った人はすぐにMBAを取り直すべき
ここまで述べてきたように、製造業にはMOTが向いているということはなく、むしろビジネスで勝つためにやってはいけないことの見本のようなものです。メーカー勤務の方でも経営を勉強したいなら迷わずMBAを取るべきですし、既にMOTを取ってしまった方はサンクコストと割り切って改めてMBAを取ることをおすすめします。
参考文献
ExeJapan Business School, MBAプログラム科目内容, [accessed 4 Jan 2024].
Harvard Business School, Carriculum – MBA, [accessed 4 Jan 2024].
一橋大学, カリキュラム|経営管理研究科 経営管理プログラム, [accessed 4 Jan 2024].
文部科学省, 2010, MOT教育コア・カリキュラム, [accessed 4 Jan 2024].
株式会社mt.Career, カリスマ大学MBA, [accessed 4 Jan 2024].
Wikipedia, 技術経営, [accessed 4 Jan 2024].
Wikipedia, 経営学修士, [accessed 4 Jan 2024].
文:八尋大輔/Daisuke YAHIRO 株式会社mt.Career代表取締役 製造業の日系・外資系企業にて営業・マーケティングに従事。 2022年Anglia Ruskin UniversityにてMBA取得。 |